開智学校は、明治6年(1873)「第二大学区第一番小学開智学校」として開校しました。
現在保存されている校舎は、明治9年4月に棟梁の立石清重によって建てられました。工事費は約1万1千円、当時の大工日当が20銭、権令(県知事)の月給が 20円ですからかなりの高額です。工事費の約7割は松本町民の寄付だったそうです。
昭和36年に国の重要文化財に指定され、女鳥羽川畔にあった校舎は、90年間使われました。
昭和38年から翌年にかけて現在地に解体移築復元されました。
ちなみに江戸時代の大工(でいく)さんは実労働時間は4時間だったそうです。
http://www.adnet.jp/nikkei/kindai/18/
現在保存されている校舎は、明治9年4月に棟梁の立石清重によって建てられました。工事費は約1万1千円、当時の大工日当が20銭、権令(県知事)の月給が 20円ですからかなりの高額です。工事費の約7割は松本町民の寄付だったそうです。
昭和36年に国の重要文化財に指定され、女鳥羽川畔にあった校舎は、90年間使われました。
昭和38年から翌年にかけて現在地に解体移築復元されました。
ちなみに江戸時代の大工(でいく)さんは実労働時間は4時間だったそうです。
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